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熊本電鉄6000系の編成
2012年の情報を最後に現在更新停止しております。最新情報は公式サイトでご確認下さい。
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#6108 赤帯 #6101

(藤崎宮前-御代志間 運行中)
#6118 青帯 #6111

(藤崎宮前-御代志間 運行中)
#6218 青帯・黄顔 #6211

(藤崎宮前-御代志間 運行中)
#6228 青帯・黄顔 #6221

(藤崎宮前-御代志間 運行中)
#6238 青帯・黄顔 #6231

(藤崎宮前-御代志間 運行中)
一般には6000系・・・東京都交通局では6000形と称します。
では、三田線時代の #6108 #6111 #6118 #6228 #6231 の勇姿をご紹介します。
↓ 写真提供=トカテツさん ↓
※ 関係者の方への
掲載許可取得済
クリックすると拡大写真をご覧になれます。
悲劇の路線「都営三田線」
三田線の当初の計画は馬込~志村で、車庫を浅草線と共用する予定でしたが、東急電鉄と東武鉄道が三田線への乗り入れを希望したため三田線は泉岳寺~高島平とし、そこから先は東急と東武が建設することになりました。
しかし三田線の工事が始まると両社はいきなり乗り入れを拒否してきました。とくに東武鉄道は当時池袋に東武デパートを建設中で、池袋を通らない三田線に乗入れるとデパートに客が入らなくなるとか、東武鉄道の新たな乗り入れ先となった有楽町線は、軍事路線(自衛隊朝霞駐屯地、練馬駐屯地、市ヶ谷司令部の他に政治の中枢である永田町、皇居や警視庁のある桜田門を結び、東京湾へ抜けている)としての役割を果たすために国の圧力があった等、色々なうわさも飛び交いましたが、その真相はいまだに不明です。
いずれにせよ単独路線となった三田線ですが、開業30年目で新たな乗り入れ先が決まりました。しかし、30年という年月は大きく、技術の進歩により新たな乗り入れ先はホームドア(エレベーターのような構造で、旅客と列車が接触しない)の付いたハイテク路線でした。残念ながら6000形ではその路線に対応することができず、まだ走れる車両なのに、やむなく廃車とすることになりました。ちなみに交通局では車両の耐久年数を35年としていますが、これはあくまでも地下鉄のダイヤを維持するための耐久年数であって、車両そのものは大事に使えば50年はもつといわれています。
今度熊本に行く車両は1972年製でまだまだ元気な車両です。
東京都交通局三田線 運転士 トカテツさん投稿 (1999年7月24日)
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悲劇の車両「6000形」
6000形はデビュー当時、世間を驚かせるほど大変優れた車両でした。
日本初の SIV(低圧電源発生装置)を搭載し、車内壁も豪華な木目調にし、座席もレンガ色の重厚なものでした。送風機も、車内の空気を拡散するだけの首振り扇風機ではなく、筒状の扇風機を車両の前後方向にすきまなく配置し、それを二重になった屋根の内側に取り付け、外気を直接車内に送り込む画期的なものでした。
しかし、三田線が開通してしばらくすると、車両から出る熱によりトンネル内の温度が上昇し、その暑くなった空気を車内に送り込むといった悪循環が発生してきました。
そのため車内の温度も上昇し、重厚な雰囲気の木目調の車内はかえって暑苦しく見られるようになってしまいました。冷房を積むにも日本初のSIVでは容量が足りず、新しい乗り入れ先にも対応できないため、まだ走れる車両なのに、やむなく廃車とすることになりました。
この車両が熊本に行った1968年製の 6101・6111
編成です。
(熊本では新型のSIVを積み冷房も搭載されました。)
この路線の宿命、車両の宿命により、まだまだ走れる車両を廃車にするのも悲しい話しですが、せめて第二の人生である熊本では、優れた性能を最大限に発揮し、熊本の皆様に愛されながら末永く走りつづけてもらいたと、心から願っております。
東京都交通局三田線 運転士 トカテツさん投稿 (1999年7月24日)
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6 0 0 0 グッズの紹介

都営地下鉄三田線 6000形タイピン |

都営地下鉄三田線 新型6300形タイピン |

都営地下鉄三田線 6000形タイピンの下絵 |

都営地下鉄三田線 新型6300形タイピンの下絵 |
管理人 : dodongo
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